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がせかぜ

どうせなら毎日楽しく、笑いたい。明るく過ごして、人生のプラスを引き寄せてやる。そんなことを考えながら、 ロサンゼルスで生活中。

仕事関連で招待されて、イスラエル総領事館の建国62周年記念のイベントに出席しました。

アメリカにおけるユダヤ社会の強さ、
アメリカとイスラエルの強固な関係は一般常識としては知ってはいても、
私自身個人的にはユダヤ人の知り合いはいません
(いや、別にわざわざ話題にしてないだけでいるかもしれないけど)。
だから、初めてユダヤないしイスラエル社会を垣間見ることになりました。

イベント自体は建国のお祝いということで、
いわずとしれた高級エリア・ビバリーヒルズのシアターを使って、
歌あり、踊りあり、演奏あり、コメディありの盛りだくさんなステージ。
その質の高さ、資金力は総領事行事としてはかなり驚きのレベル。

でもそれ以上に、会場のセキュリティの厳しさ(身分確認の徹底ぶり&金属探知機&警備)で
この国の特殊状況を感じました。敵がいる国ってこうなんだと。

さらに、イベントは建国の歴史を振り返るストーリーだったんだけど、もちろん始まりは紀元前3000年から。
そして、国連決議で建国が決まったときの映像が流れたときは、観客からの盛大な拍手喝采。
「私たちは存在し続ける!国境は守る!」というナレーション。

・・・なんていうの、カルチャーショック?

イスラエルパレスチナ問題とか、語れるほどの知識は持ち合わせていないけど、
国際関係をちょびっとでもかじった者としては、
この国の建国の歴史、そして「国境を守る」とかは、
すんごい複雑でドロドロしてる話だってのは分かる。

でもその会場で、本当に笑顔で嬉しそうに、
イスラエルという国が出来ていることを喜び祝っている人たちがいました。

別に全然、その場にいた方々を責める気はさらさらないです。

だって、総領事館のイベントだし、建国を祝う場なんだから、
そこで主張しなくてどこで主張するって話だし。
みんな、その辺のことは十分分かっているだろうし、
でも、ソコはある意味気にせず、もろ手を挙げて喜ぶことが許される場所なんだし。

ただ、そうやって、人と人の間の認識の違いにどれだけ差が生まれ得るか、
1つの事実に対しての、判断の幅の大きさを改めて実感したというか。

たぶん、決議の映像を見て、拍手喝采とは正反対に、
猛烈な殺意をいただく人も世界にはいるかもしれない。

何を正しいと思って、何を信じて、何が間違っていると思うか。
その人が信じているもの、常識と思っていること、教えられてきたこと、
知識や経験でそれは変わっていくし、本当の「正解」なんてない。

だからその相違に対しては、どちらかが議論で打ち負かすとか、
正当性を訴えるんじゃなくて、
自分が信じてるその「当たり前」や「正解」が、
他の人にとっては全く違うものだったり、受入れがたいものにもなりうる、

ていう事実に気がつくことが大事。そして相手の主張に聞く耳ともつこと。
相手を理解しようと努めること。
それが、友好とか、平和の第一歩。

そう思って、私は「異文化交流」を仕事に選んだんだった。

なーーんて、突然、初心が思い出された、夜でした。
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社会人になったら、やろうと心に決めていた自己投資の1つ、レーシック。
2009年最後に念願達成しましたクラッカー

とはいっても、私が受けた手術は正式にはPRKというもの。
通常より角膜が薄いヒトは、通常のレーシック手術の手法はできないため別のやり方が必要なんだそうです。詳しい違いはネット調べればいろいろ説明があると思いますが、とりあえずPRKは角膜の上皮に直接レーザーを照射するので、術後の痛みがあったり(角膜が回復するまで時間経過が必要)回復が遅いようです。

私自身、受ける前にこのあたり、つまり「痛みってどのくらい?」「日常生活に戻るまでどのくらいかかるの?」ってのがとっても気になったので、誰かの参考のために、一応体験談をレポートします。興味があるヒト、どうぞ。

<手術前の検査>
各病院でよくオファーしている無料適正検査を受けたところ、上述の角膜の薄さが判明。このときは当日までコンタクト(ハード)をつけていたので、眼圧を戻すために2週間のメガネ生活を経て再検査。ここで正式に手術OKってことになりました。

<手術日を決める>
手術OKをもらいつつも、手術日がなかなか決められない・・・。というのも、医者から「PCは5日間は見れない。仕事を休め」とのアドバイスが。そんなにお休みとれないよ~~ってことで年末のお休みを利用できるように、12月26日(土)をXデーにしました。28日(月)は書類整理に集中すればいいだろうって。

<手術日・12月26日(土)>
朝から病院へ。視力や角膜の状態などまた検査をして、いよいよ手術準備で数種類の目薬をさす。何がどういう機能なのか分からないけど、特に痛みや不快感はなし。待ち時間が結構あって、朝9時半に病院にいったのに手術を受けたのは12時近く。でもこれは単に混んでたせい?!手術自体は実質15分くらいで、レーザーがあたったのは10秒弱かと。痛みもなーーにも感じなく、しかも機械がどいたあと明らかに視界に変化が!!もちろん全体的にぼやけているものの、“これは見える”と確信。テンションあがります矢印
当日はぼやけたり光に敏感なため、医者にも言われたとおり、車の運転は無理。ってことでV氏に運転を任せて、助手席で目を閉じて自宅まで。目はしくしく痛むものの、麻酔がきいているのか多少目をあけているのは平気。でも「とにかく休養を」という医者の指示に従い、午後はほぼずっと寝てました。夕食はV氏がカレー絵文字名を入力してくださいをつくってくれたのだ。

<術後1日・12月27日(日)>
目が・・・痛い。開けていられなくて、ずっと寝てたい。光もとにかく眩しくて、電気はつけられないし、部屋でも曇りでもサングラス。同じ中学の友達がLAに来てて、Lawrey’sっておいしいローストビーフ食べに行ったのに、目が痛くて盛り上がれず・・・ごめんよ。もちろん運転はもってのほか。手術日よりかなり辛い日ザラキーマ

<術後2日・12月28日(月)>
朝イチで術後の検診。依然痛くて目が開けられないので、これは医者に訴えようって意気込んでたのに、「思ったより順調に回復してる」とのこと。これでですか?「痛みもフツウだから」って。とにかく角膜の治癒が進むのを待てと。ただ、私の場合は手術後保護のために入れていたソフトコンタクトレンズが合わないようで、右目の痛みが尋常じゃない。ずっと涙がぽろぽろと。それについては医者も「形状があってない」ってことで、麻酔効果のある点眼薬をくれた。でも「あまり使いすぎるな」と釘を刺されたので、ちょっとずつ・・・。ちなみに今日は仕事を予定してましたが・・・あまかった。PC見られないどころじゃなく、蛍光灯の下に眩しすぎていられない。書類も目のピントがあわないから読めない。医者の忠告には素直に従うべきと痛感。結局実質的な仕事ができないので、お休みを申請。納会にだけ出席しました。麻酔薬のおかげで1日目よりはマシだけど・・・かなり辛かったjumee☆down1

<術後3日・12月29日(火)>
左目がだいぶ回復。視界もはっきりとしてきた。一方で、右目の痛みは相変わらず。1回麻酔薬を点眼すると、大体1時間くらいは効力があるので、ちびちび使用。次の検診(土曜)までなんとかもたせないと・・・。この日から実は旅行を企画していて、9時間ドライブでしたが、すべてV氏に任せました。ごめん。目の治療に専念(?)するため、とにかく私はよく寝たアップロードファイル

<術後4日・12月30日(水)>
睡眠効果か!?朝起きたら、驚くべき変化が!右目が開けていられる8分音符-x2Beamed*CandyPink(白い背景用) †SbWebs†角膜の問題なのか、ソフトコンタクトに目が慣れたのか。天気も味方して雪(くもり)だったので、サングラスをかけつつも日常生活が可能に。このあたりからだいぶ元気を取り戻し始める。

<術後5日・12月31日(木)>
さらなる劇的な変化!でほぼ麻酔薬に頼らずに両目を開けていられる状態に。日光も蛍光灯もサングラスがあればOK。ほぼ日常生活を取り戻し、運転も料理もOKでした!ばんざい!!視力は、左目はクリア、右目はまだまだ。

<術後6日・1月1日(金)>
室内の光も平気。順調ですナイス

<術後7日・1月2日(土)>
1週間後検診。医者にも順調な回復と評価されるハナマル点眼薬も変わり、フツウの日常生活に復帰。PC画面にもようやく復帰。

<現在(ほぼ術後2週間)>
毎日少しずつ、視力の回復とクリアになるのを感じています。完全に狙った視力にまでいくには1~2ヶ月かかるらしいので、気楽に。眩しさには以前より敏感になったので、日光や朝起きたときは辛い。夜の車のヘッドライトの光などのグレア現象は、認識するもののそんなに気になりません。ドライアイ対策は必要。PCを長時間見られなかったりします。人口涙は手放せません。しかしなにより裸眼生活の快適さ!!最高にハッピーですニコニコマーク



私は、戦争を知らない。
戦争は日本にとってはもう昔の時代のことだし、
外国で起きていること、と思っているのは私の世代では少なくないと思う。

ただ、これでも私は、外国で過ごしたという生い立ちと、
中学時代に抱いた国際組織への憧れを土台にして、
「国際平和」「紛争解決」をテーマをする問題には興味をもってきたし、
大学でも学んだし、今も外交に遠まわしでもかかわっている仕事をしている身として、
おそらく世間一般よりは関心と知識を持っていると自負できる。

でも、戦争のことについて勉強しても調べても、
結局自分の中でどう処理して、どう還元するべきなのか、
その答えが未だに出せないことに改めて気がつかされた。

土曜日に『台湾人生』って映画を見た。
台湾が日本の植民地下にあったことはなんとなく知ってたけど、
51年間にも及んでいたって知ってました?50年って・・・ヒトの人生だよね。
その間、徹底した日本の教育を施されて、
「日本人」として育てられて、生きて、戦争を体験して、
でも戦争が終わったらすぐに日本に”捨てられた”日本語世代の人たち。
もはや高齢者になっているその人たちへのインタビューをつづった、ドキュメンタリー映画。

一人ひとり、ちょっとずつは違うんだけど、
日本に対する懐かしさ、いとしさ、親しみ、そして日本政府に対する恨み。
複雑な複雑な感情が渦巻いているのを感じた。

そのメッセージ、そういうことがあった、ということを
日本人にも知ってほしい、忘れないでほしい、ということは十分受け取ったつもり。

でも・・・知って、私はどうすればいいのだろう?
日本にいる戦争体験者、台湾の日本語世代、
みんなあと20年もしたらいなくなってしまうだろう。
そうしたら?何を覚えているべきで、何を忘れないべきなのか。

結局、このテーマについて勉強したり、考えても、
私に直接的に残ったのは「戦争は悲惨」「戦争はヒトの人生を狂わせる」だから
「戦争はしちゃいけない」というメッセージ。
ある意味、ルワンダやナチスの話といった、
日本が直接的には関係ない話と残るものは変わらないんだよね。
これは客観的すぎるのか、これだけで十分なのか。

今週、天皇陛下の即位20年記念式典があったそうですね。
一連の記事とか特集をネットで読んでいて、
今の陛下が「象徴天皇」として即位した最初の天皇、っていうことに、
よく考えてみたら当たり前のことなんだけど、びっくりしてる自分がいた。

私の祖父母が全然戦争について話したがらない人たちで、
ちゃんと話を聞いたことがないからか。
でも、今平和そうに暮らしている世の中のおじいちゃんやおばあちゃんは
本当に、戦争を生き抜いた人たちで、戦争の現実として知っていて。
そんなことを日ごろ忘れてしまっている自分。

正直、学生時代は”国際人”としての責任とか視点とかばかりで考えていて
なんとなく自分の足元、つまり日本人としての考え方はしてこなかったことに気がついた。
就職して、海外赴任を経験して、「日本人」であることを意識することが多くなっている今。
今更ながら、よく分からなくなっちゃったけど、解けないけど、向き合って生きたいと思う。

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追記(11・16)

日本人として、国際人として。
それだけじゃなくて、やはり戦争を知らない世代として、
普遍的なメッセージとしてとらえることと、
歴史的な背景を理解して、戦争の痛みを知り、外国と付き合うこと。
この組み合わせも考えなきゃいけないんじゃないかと思い始めた。